2010年5月29日土曜日

敗戦直後の合唱サークル成立の形式―女声か混声か

 第二次世界大戦以前の日本の大学は、「女子大学」と名乗っていない限りは大半が「男子大学」で共学を実施していたのは一部の私立校だけだった。従って、大学で混声合唱団の活動をやっていたのは、教育活動の一環としてやっていた玉川学園やチャペルの合唱隊とその延長線上で宗教音楽を演奏する機会のあった成城学園、関西に目を転じると、付属の女子専門学校と合同で混声を臨時で組織していた同志社(現在のCCDとは直接の関係はない)や近隣の女学校からメンバーを集めて混声合唱団として活動していた京都大学など、わずかな例にとどまっていた。
 敗戦とともに占領軍の政策の重要な柱の一つとして教育改革が実施され、4年制の大学でも原則として男女共学が導入されるようになるのは1949年からである。男ばかりでやっていた各大学の音楽サークルでも新たに入ってきた女子にどう対応するか、様々なパターンが見られた。
 一つは、男声合唱団を改組して混声合唱団として再出発する例があった。混声六連で早混とも付き合いの長い青山学院大学グリーン・ハーモニー合唱団がそうで、もともと同団は大正時代に創設された伝統ある男声合唱団だった。ミッション系の大学の場合、女子学生の浸透度は他よりも早かったようだし、もともと「男子大学」とは別に女子教育を行う系列の学校をかかえていたところは、戦後も短期大学や女子大学として女子の受け皿は存続しているから、4年制の学部生に系列の女子校から人材を追加して混声合唱団をやるのは比較的容易だったようである。
 一方、もともと男声合唱団として活動していたサークルの中には、戦後になって女子学生がやってきて自分たちも入れて欲しいと要求されても、人数比に難があるとか、男社会の伝統を崩すのに抵抗があったとか、様々な理由から混声への改組には踏み切れないところも多かったらしい。従来の男声合唱団に入れるわけにも行かず、サークル内に「女子部」の形で受け入れて、対外的には女声合唱団として活動させたのが慶應義塾大学ワグネルソサイエティや立教大学グリークラブで、現在でも立派な活動を続けている。
 もっとも、同じ看板(ブランド)で女子大学や短期大学をかかえていない学校では、女子の供給をめぐって少ないパイを奪い合うような状態にならざるを得ない。慶應や立教のように女声合唱団がしっかりした組織力を永年育んできた学校では、逆に混声合唱団で有力な団体が台頭することが遅れる結果となったようである。逆に、女声が学内の他の混声に押されて衰退し、活動を続けられなくなったのが東北大学や早稲田大学であった。東北大学男声合唱団の別働隊・通称「ひよこ」は1970年代に活動を停止したが、早稲田大学グリークラブの庇護下で活動していた早稲田大学女声合唱団は1963年に休部に追い込まれている。
 早大グリーの場合、1949年のコール・フリューゲル独立事件のあと、団の活動回復策の一つとして事実上の女子部である女声合唱団の育成・指導が行われた。最盛期には30人ほどの陣容をかかえ、グリー部内の行事では混声合唱の試演も行われたことがグリークラブの百年史「輝く太陽」の中に書かれている(ちなみに、同書に掲載された当時のグリー男子の手記には、「当時の混声の女子は大半が外部からの参加だった」とあるが、これは早混と早大合唱団の活動を取り違えた誤解である。当時でも早混の女子は大部分が早稲田大学の学生だった。本文の記述だったら後日の訂正を正式に申し入れるべきところだが、随筆として書かれた箇所なので目くじらを立てるほどのことでもないと思う)。
 早混との絡みで触れておくと、1950年代は新入生の女子の取り合いで早混の新歓ポスターを引っぱがされて、仕返しに殴り合いの喧嘩になった…なんて物騒な武勇伝もあるのだが、50年も前の話で当事者の多くが鬼籍に入ったこともあり、グリークラブのOBと同席する時にも恨みっこなしの笑い話で済んでいる。
 早稲田で女声合唱団が続かなかった理由は、早混の他にも1950年代には早稲田大学合唱団や早稲田大学コール・ポリフォニーなどインカレ系ながら混声をやっていたサークルが既に活動しており、1960年には早稲田大学室内合唱団が設立されるなど、こと混声に関しては選択肢が多くて、女声はその余波をもろに受けたことが女声合唱団が10年ほどの短命に終わった主な原因だろうが、グリークラブの百年史を編集されたご年配のOBの方から伺った話によると「早稲田内部で自前の人材を育成しようとするよりも、よその女子大の合唱団と仲良くする方に熱心になった」のも女声合唱団が早稲田に根付かなかった一因とのこと。
 そんな時代から半世紀たって、伝統を誇る4年制大学の多くは女子学生であふれ、昔とは逆に男声合唱団が立ちゆかなくなって混声に改組したり、更に(東京大学で最近結成されたそうだが)新たに女声合唱団が誕生するといった動きもあるそうである。早稲田でも「都の西北」を女声3部合唱で聴く日も遠くないかもしれない。

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