2010年6月5日土曜日

往時は名物だった「早稲田の第九」

 2007年10月の創立125周年記念行事の一環として、記念会堂を会場におよそ12年ぶりに交響楽団と学内の合唱サークルが合同でベートーベンの交響曲第9番が演奏されたのも記憶に新しいところだが、1957年から1995年までの約40年間、早稲田では1年おきにクラシック系の音楽サークルが第九交響曲を披露するのが恒例の行事となっていた。
 1957年に今の記念会堂が竣工した記念として、当時の学生部長だった滝口宏教授の肝いりで始められたのだが、当時は女声の確保に苦労し、学内の合唱サークルはもとより女子学生に個人的にあたったほか、玉川大学の応援を得たのは各種資料に詳しく出ている話である。当日の進行表が残っていて、エキストラの玉川がスタンバイする時刻の他、「N響入り」という記述があって、おそらく特殊楽器など学生では手の足りなかったパートの補強として来てもらっていたのではないかと推察される。
 この手の話は大学の資料やサークルの会誌では触れられないところで、ついでにもう一つ紹介しておくと、このときの演奏が日本史上初めての学生による第九だという触れ込みになっているのだが、筆者が調べたところでは、1949(昭和24)年に仙台で東北大学の音楽部が金子登の指揮で演奏しており、これは第九の「東北初演」だったということになっている。おそらく合唱(特に女声)に関しては職員のコーラスや外部の団体の応援を得て挙行したのであろうから、学生の第九の第一号は早稲田と名乗って差し支えはないと思われるが、若干微妙なところでもある。
 話を戻して、1957年の早稲田で最初の第九は、日本楽器(ヤマハ)が試験的にステレオ録音をとっていて、あとで銀座の本店で披露したという話を複数の関係者から聞いている(ラジオのニュースでも音声が紹介されたそうである)。残念ながらテープは残っていないらしい。筆者の知るところでは、フロイデハルモニー(早稲田の第九)で最古の録音は1962年に東京文化会館で当時、「N響事件」の渦中にあった小澤征爾が指揮したときのもので、マスターは未だに行方不明だが、関係者に配布された孫コピーのテープを保管していた早混の先輩がいて、デジタルに複写したものを大学史資料センターに寄贈した。学芸員の方からは「早稲田から記念で出せませんかね」と言われたことがあるのだが、ソリストが複数のレコード会社の専属になっているほか、小澤征爾は、自分の若い(つまり、本人から見て「未熟な」)時期の演奏の復刻にはNGを出しているそうなので、残念ながら公にはできないだろう。薫陶を受けたミュンシュやバーンスタインを彷彿させる、軽やかな曲の進め方がいかにも小澤らしい演奏だった。

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