2010年6月2日水曜日

新入生演奏会の始まり

 現役の方では新入生の顔ぶれも揃ってきて、新入生練習も熱気を帯びている時期だろう。早混の諸制度の中で、おそらく最も成功したのが新入生演奏会であることは早混史の研究者の間でも意見が一致しているところだが(笑)、1963年に新入生演奏会(当時は「新入部員の演奏を聴く会」)が初めて開かれたときは、それほど用意周到な狙いでやったわけではなかった…という話を現役の役員にすると意外な顔をするから面白い。
 1956年に第1回の定期演奏会が大隈講堂で開かれたのは6月23日のことで、入学したばかりの部員も猛特訓してステージに乗せてしまったのは有名な話だが、この年に限らず人材不足の時代は新人だろうが何だろうがさっさと上級生の練習に組み入れて、新入生歓迎会で新入生が新入生を歓迎するような状況は1950年代の末まで続いた。
 しかし、1960年代になると折からの「合唱ブーム」で新部員の数が年ごとに倍増すると面倒な事態になってきた。始まって間もない同志社とのジョイントや六連は上級生の行事だったが(当時の六連は各団体間での申し合わせが厳しく、個別ステージの制限時間はもちろんのこと、新人は参加させないというルールも徹底していた。練習もろくろくしないで本番に出てしまうようなふざけた団体が登場するのは1970年代以降である)、入ったばかりの部員を練習だけで遊ばせておくわけにも行かないので、新人の「お披露目」「初舞台」は合唱連盟が主催する春の合唱祭だった(秋は合唱コンクール)。
 ところが、当時の合唱祭の会場は今みたいに本格的なホールが使われるわけじゃなくて、専門学校の講堂など、かなりステージの狭いところでやっていた。だから、上級生と新入生が一緒に参加すると客席や舞台袖にあふれ出すほどの人数になりつつあって、合唱祭も新入生は参加させられない、どうしようと当時の役員会が悩んだ末に、そんなら前期の練習とお披露目は新人だけ別メニューにしてみよう、と考えたのが今の新入生演奏会の始まりである。
 記録によると、1963年に初めてこれをやったときは一度きりの試みということで役員会でも翌年はやらないつもりだったらしいが、新人の育成や学年での人間関係の構築、上級生の活動への円滑な移行、等々の利点が早くも認識されるようになり、現在に至るまで50年近くにわたって団の公式な活動として優れた役割を果たすこととなったのは周知の通りである。

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